2025年7月17日
きょうのKeril #9 〜「今日も一日頑張った」と言える日を重ね合って〜
みなさん、こんにちは。
きょうのKerilは宮谷が担当します。
実は毎週水曜日に更新している、このKerilブログ。
日付を跨いでの更新となってしまいましたが、その理由が今日だけはあります。
本日7月17日は、Kerilの代表・矢内景子のハッピーバースデー。
そしてアーティスト名義・やないけいこのニューシングル
『NANA』の配信リリース日となっております!

矢内景子という人をなんと表せば良いか、考えてみたのですが
一番先に出てくるのは「頑張り屋さん」という表現でした。
上から目線な表現なのかもしれませんが、そういった意味ではなく
“働きもの”というのもしっくりこなくて、“功労者”は堅すぎる
もっと身近で、現場で、自分で、目一杯に取り組む
“頑張り屋さん”というやわらかさが、とても似合うと思ったからです。
これを読んでくださっている方々はきっとわたし以上にそう思っているかもしれません。
「今日、頑張ったよね」「わたしたち、頑張ったね」
時折やない氏は、そんなことをふと言ってくれるのです。
(ここで突然ですが、わたしは本人の前以外ではやない氏と呼ぶことが多いです)
きっと頑張り屋さんのやない氏だからこそ「今日はがんばった」と思う反面
「もっとがんばらなきゃ」「まだまだやらなきゃ」とも思っているはずです。
でも、自分のため、わたしたちのため
「がんばったね」
と溢すやない氏が、とても素敵だなぁと思います。
自分の頑張りを認めて、人の頑張りを認めるということは
意外と難しいことだと思っています。
完璧な人なんてそうそういなくて(もしかしたら同じ地区町村に一人二人はいるのかもしれないけど)
人が十人十色である以上、誰かにとって完璧なこともあれば
誰かにとっては不完全であるものだと、私は思います。
人の頑張りを否定することに慣れる方がずっと早くて
でも、認められるようになるにはずっと時間がかかる。
故に悲しい思いをしてきたことも、私自身たくさんあります。
それは他人だけじゃなくて、身内にだって思うことがあるものですから。
『NANA』という楽曲の冒頭に、こんな一節があります。
———「今日も一日頑張った、なんて 言ってくれるのは自分くらい」
他の人の頑張りを他人が知る由もなければ
「頑張っていない」と決めつけられるものではない。
結ばれてからは仕事を怠けて、神様から年に一度しか会うことを許されない関係となってしまった
彦星と織姫の関係へのアンチテーゼでもあるこの一節が
わたしは癒しよりもパワーを感じて、とても好きなんですよね。
「今日もお疲れ様、自分」って言いながら開ける缶ビールも美味しいし
「頑張ったねえ、本当に」と言いながらたっぷりの湯船に浸る時間も幸せで
癒しだと思っていることってどれもが自分を満たすためのことで
それが、明日を生きるパワーに繋がるわけです。
「今日も一日頑張った」って
自分を満たすための、とても大切な水のような言葉だと思います。
「今日も一日頑張った」と言える日を重ね合って、満たし合える関係は
仕事においても、プライベートにおいても、欠かせないものだなぁと
あらためてこの曲を聴きながら思うのです。
あらためて、けいこさんお誕生日おめでとうございます!
そして『NANA』、各種配信サービス、サブスクリプションにて配信されておりますので
ぜひぜひたくさん聴いていただけると嬉しいです!
以上、宣伝でした!(笑)