2025年10月8日
きょうのKeril #21〜「美しいがゆえにおぞましい」について考える〜
みなさん、こんにちは。
きょうのKerilは宮谷が担当します。
少し前になりますが、9月の末にKerilメンバーで
「TOKYO GAME SHOW 2025」に行ってまいりました!
TGSといえば、日本最大級のゲームの祭典。
毎年数多くのゲーム会社の出店していて
試遊はもちろん、練り歩くだけでも楽しくて楽しくて。
今年もたくさんの方々にご挨拶できて嬉しかったです。


どのブースもとても魅力的だったのですが、個人的に楽しみにしていたのが
話題の作品の一つだった『SILENT HILL f』でした。
試遊ブースもやっぱり大人気でしたが
ゲーム本編に登場するキャラクターをリアルに模った立像があったり
“アヤカカシ”のコスプレイヤーの方がチラシを配られていたりと
ブースにいるだけでワクワクしました。
(お写真を載せたいところですが、怖い方もいらっしゃると思うので控えておきます…)
『SILENT HILL f』にはこんなコンセプトがあります。
———美しいがゆえにおぞましい
美しさとおぞましさが同居していることが、日本のホラーの特徴のひとつ、という
見解からこのコンセプトが生まれたそうです。
今日はこの「美しさ=恐怖」について少し考えてみたいです。
「悍ましい」という言葉には、
恐ろしい、ゾッとするほど嫌な感じ、大きく立派なもの…という意味があります。
サイレントヒルシリーズでは初の日本が舞台、ということもあり
日本独自の思想や言い伝えが物語の重要な鍵を握っています。
さまざまな神様がいて、そのどれもに“神聖”というイメージがあるとともに
必ず私たちの味方になってくれるわけではない。
むしろ行いによっては滅せられる場合もある…という
恐怖も潜んでいたりします。
この恐怖を正しく表現するならば、“悍ましい”になるのでしょう。
美しさと恐怖をともに感じる時が、身近にもあったりします。
たとえば、一面の木々が広がる大自然を目の当たりにした時
自然の美しさを体感するとともに
どこか“怖い”と感じることってありませんか?
私は三重県の山奥で育ったのですが
山を切り開いて住宅地にしたところに住んでいながらも
手の加わっていない立派な山々を見ると
「怖いものが出てきそう」と怯えたものです。
(ジブリの『もののけ姫』が苦手なのですが、その影響もあるかもしれませんが…)
でも荘厳で、尊い象徴のようでもある。
子どもながら、そんな無形のパワーをひしひしと感じていました。
大自然には、人の手が加わっていないからこその
神秘的な美しさが宿るのだと思います。
しかし、その一方で
人が介在していないものに対する“未知”に対して
私たちは無意識に“恐怖”を感じているのだとも思います。
「畏怖」という言葉が、まさにそれです。
そこには、“孤独”や“死”といった負の要素も連想されます。
安らぎと不安の両方を煽られている…というのが
美しさ=恐怖の実態なのだと、私は解釈しています。
そして、その恐怖の裏側には
抗えないものに対する“恍惚さ”もあったりします。
美しいものに惚れ惚れとする感覚と同じものが
恐れる、という感情からも生まれているのです。
こういうことを考えるたび、人間って不思議だなぁと思います。
とりとめのない話になってしまいましたが(笑)
この「美しい=恐ろしい」という感情が私はとても好きで
自分が何に対してその感情を抱くのか、日々研究を重ねています。
そして『SILENT HILL f』はホラーゲームらしい恐ろしさや造形美はもちろん
発想の豊かさが本当に面白くて、考察が楽しいです…!
私たちの中では、日々小さな感情たちが
マーブル模様にように混ざり合って、変化を重ねています。
嬉しいのに悲しい
楽しいのに辛い
安心するのに気持ち悪い
そんな言葉ではきちんと表れない感情や、人に理解されないような気持ちもいっぱいあったりします。
そうした日々生まれる小さな感情の変化に敏感でいることが
新しいクリエイティブにつながっていくのだと思うので
常に見逃さない私でいたいです。
というスピリチュアル回でした!
