2025年12月10日
きょうのKeril #29 〜まだ見ぬ可能性のためにできること〜
みなさん、こんにちは。
きょうのKerilは宮谷が担当します。
師走という名の通り、早足で1日1日が過ぎていく12月。
(…と書きながら日付を見ましたが、もう12月が始まって10日も経っているなんて!)
2026年が間近となった今、本屋さんやネットでは「占い」が大盛り上がり。
六星や五星三心占術、星座占いなどなど、いろんな占術で2026年のわたしたちが占われています。
かくいう私も占い好きで、毎年とある方の上半期、下半期の星座占いをチェックしては
スケジュール帳に詳細を書いていたりします。
(ちなみに私の星座は「牡牛座は、やはり“金髪性”」と書かれていて、万年金髪の私はよくわかってるじゃん〜と一人で笑っていました)
同じ結果であっても、占い師の語り口によって
受け取るメッセージも大きく変わるのがまた面白いところで
たとえば、過去にあった出来事について語るにも
「これはあくまで決まっていたことなのですよ」と淡々と道筋を強いる人もいれば、
「こういうところがあったから、ああだったのかもね」と可能性を考察してくれる人もいて、
「あなたは〇〇だから絶対こうした方が良かったんですよ」という自分の考察結果を力強く語る人もいる。
良し悪しは人それぞれで違って、自分で考える余地を残してくれる方が好きな人もいれば、
事実ベースで話される方が納得のいく人もいるのだと思います。
もちろん、自分がどういう人かを第三者目線で断定して
アドバイスされる方が安心、迷いがなくなる…という人もいるでしょう。
そう考えると、占いを信じる・信じないかという判断基準は、占いの精度というよりも、
その人が“人として信頼できるかどうか”によって決まるんじゃないかと思うのです。
昔、とある占い師さんに
「あなたって、意外と裏方気質で引っ込み思案なんですね!
もっと前に出たい人なんだと思ってたから意外!だったらこういうことやった方が良いですよ」
と言われたことがあり
「はて、そうかね?」と思ったことがあります。
私はビビリではありますが、注目してもらえることは好きだし、とても嬉しいです。
いつからだろうと思い返せば、小学校低学年でマーチングをした時も、
一人音を出すタイミングを間違えてたくさんの視線を受けて
やっちまったー!と思いながらも、ちょっとワクワクしたり。
(悪目立ちなので本当は良くないです、ごめんなさい)
そして私はライターでもあるのですが、ライターを裏方仕事だと思ったこともありません。
特に近年は名前も写真もわかりやすく出してもらえる機会も多いですし、
クリエイターの一人として世に出るのだと、自分なりにプライドを持って活動しています。
私は占い結果の見方がわからないので、
本当に裏方気質で引っ込み思案という結果が出ていて、
それを言語化してくれただけかもしれません。
でもそれは、占いによって自分の解像度が上がる結果に結びつくよりも、
自分を特定の何かに決めつけられた気がして、すごく心外だなぁと思ってしまったのです。
その上で編み出された「こうした方が良いですよ!」というアドバイスも
本当は新しい可能性があったかもしれないけど、その人の独断と偏見に見えてしまいました。
Kerilでは、日常会話から“言語化すること”を大切にしています。
曖昧な表現になってしまうときは、ひとつのかたちが見えてくるまでサポートしあったり、
その人自身がかたちにできるまで待ったりします。
そこで私たちが大切にしているのは、特定はするけど、断定はしないということ。
言語化というものは、曖昧だった何かをかたちづかせるという、ものすごいパワーを持っています。
だからこそ、間合いを間違えてしまうと、誰かを、何かを決めつけてしまいかねません。
あらゆる物事、結果のそのまた先に、あらゆる可能性がある。
その可能性を見つけるための言語化であることを、大切にしたいから。
きっとそれは、ビジネスやものづくりだけじゃなくて
占いにも、人間関係にもつながるんだと思います。
別の占い師さんは、占った最後に
「占いはおまじないのようなものだから、時々ふと思い出すだけで良いよ。
あなたの行動によって変わっていくものだからね。」
と言っていました。
その通りに、たまに占い結果を思い出して、最近の出来事を振り返るようにしていたのですが
不思議とその方が、自分のやることに自由と自信が持てたような気がします。
きっと自分の中で、過去の出来事と占い結果を都合良く結びつけて
自己満足しているのかもしれませんが
それでも占い師の言う「おまじない」としてはとても効力を発揮してくれてると思います。
十人十色だからこそ、たくさんの可能性がある。
まだ見ぬ可能性のためにできることへ、魂を燃やしていきたいです。
