2026年2月11日
きょうのKeril #38 〜生き方のヒント「行間」にある〜
みなさん、こんにちは。
きょうのKerilは宮谷が担当します。
「長い文章は読まれない」がもはやデフォルトの考えになった昨今。
スクロールすれば次々に情報が流れてくるこの時代では
短く、わかりやすく、すぐ理解できる言葉がやっぱり重宝されていますよね。
ところが、Xでは最近アルゴリズムがまた変わり
長文の投稿が見られやすくなっている、という話を聞きました。
プレミアムプランに課金すれば140文字を超える長文も投稿できるわけですが、
最近「記事機能」というものが登場しました。
記事機能とは、投稿がそのまま記事のように閲覧できるサービスで
同じくプレミアムプラン等に加入されている方限定で利用できるとのことです。
リンクのようになっていて、最初はnoteに飛んだのかな?と思ったのですが
URLは表示され図、XのUIと同じままなので最初は驚きました。
私はいわゆる“旧Twitter派”でして(笑)
140文字という制限の中で言葉を削ぎ落とし、選び抜くあの感覚に美徳を感じておりました。
あの制限があったからこそ、生まれる言葉もあったよなぁと思ったり。
しかし、限られた文字の中でインパクトづけるために、誇張された強い言葉が使われるようになり
ツリー機能を使ったTwitter論争に発展していった時代がありました。
その後、一つのポストでなるべく多くの主張を込めるために
プレミアムプラン参加者や140文字以上の投稿が増えていった結果、今のX(旧Twitter)があると思っています。
そのおかげもあるのか、確かに長文が読まれる傾向はすごく強まってきているとは感じていました。
Xでもよくリポストされてくるし、「これ感動した」「めっちゃいい話」みたいに引用する人も多い。
多くが創作というより、誰かの体験や気づきが、少し長めのテキストで綴られていて
日記とコラムの間みたいな絶妙な文章だなぁと思っていました。
「文章を読む」という行為が、また少し身近になってきたようで、なんだか嬉しくもあります。
とはいえ、長文が増えたものの、「簡略化」がなくなったわけではないと思っています。
小説やエッセイのように、情景や心の動き、時間をかけた成長の過程を丁寧に描く余白は
Xの通常ポストでも、記事機能を使った投稿でも、どうしても削られてしまう印象。
文学的なプロや小説フリークたちばかりが書いているわけではないので
単純な文章スキルの差というだけの可能性もあるのですが
書かれている題材や物事の「始まり」と「結果」は強く書かれているけど
「過程」はやっぱり省かれる傾向にあります。
そこでふと思うのが、「行間を読む」ということ。
行間を読む、というと、本好きや物語好きの特別な能力のように聞こえるかもしれません。
でもきっと、自分の経験や感覚に引き寄せて想像することができれば、
誰にでもできることなのだと思っています。
先日、あるX記事を読んだのですが、
それは学生時代の人間関係の輪を出て社会人になり、鬱を経験した方のお話でした。
一年間の自宅療養で貯金も尽き、改善の兆しが見えないまま社会復帰。
「これまでの自分がわからなくなった」という戸惑いの最中でありながら
それでも、なんとか今を頑張り、今の自分に向き合っている…という内容。
とても誠実に自分と向き合い、勇気を持って綴られた文章だと思います。
特に元々は「明るい自分」を大切にしてきて、それを社会人生活で失ってしまったという
鬱の始まりについて、とても丁寧に書かれていました。
でも同時に、そこに書かれていない時間や感情が、きっとたくさんあるのだろうとも思いました。
例えば、再び出会った社会のしんどさ。
これまでのようにできない自分への焦り。
周囲との距離感に戸惑う瞬間…など
主に社会復帰した後の、作者の方の踏ん張りや揺らぎです。
そこには、辛さだけでなく
小さくても「好き」と思える時間が増えたことや、ほんの少し救われた出来事もあったのでしょう。
「今の自分に向き合う」という一文の裏には、そうした揺れや試行錯誤が折り重なっているはずです。
みなまで言わなくていい、という考えももちろんあります。
全部を説明しないからこそ守られるものもあるし、余白があるからこそ届くものもある。
時代に合わせた文章、という観点で言えば
鬱によって大きな苦悩を抱える=承、と
それでも社会復帰をせざるを得なくなった=転、と続けば
あとは結末のメッセージを伝えるために、ダイレクトに繋がなければいけない。
ここの苦悩はきっと離脱率につながってしまうのが、今の時代なのだとは思います。
でも、人々の「揺れ」には生きるヒントにつながる価値がある。
結果以上に大切なことが隠れている時だってある。
だからこそ、短い言葉が主流の時代でも、行間はなくならない。
むしろ短いからこそ、そこに広がる余白も大きいのかもしれません。
読む側がほんの少し立ち止まって想像するだけで
文章はただの情報ではなく、誰かの時間や人生の断片になる。
それはKerilがモノづくりで日々大切にしていることなんですよね。
今日も、流れていく言葉の中に、そっと行間を探しながら。
誰かの見えない時間にも、少し想いを馳せられる自分でありたいなと思いました。
